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広島家庭裁判所呉支部 昭和34年(家)270号 審判

申立人 山戸美子(仮名) 外一名

相手方 中田ヱミ子(仮名)

主文

相手方は申立人両名に対し扶養料として昭和三四年七月より申立人等が各中学校を卒業する月まで毎月末日限り一人につき金一五〇〇円ずつを支払え。

理由

申立人等の法定代理人は、相手方が申立人等を相当の方法で扶養する審判を求め、相手方代理人は、請求を棄却する審判を求めた。当裁判所は審理を遂げ、後記証拠により次の通り事実を認定する。

1、申立人等の父母の離婚

申立人等の法定代理人山戸繁夫と申立人等の母中田ヱミ子は、昭和二一年三月二八日媒酌する者があつて婚姻し、昭和二二年一月二日申立人美子を、翌二三年四月○○日申立人一夫をそれぞれ出産した。婚姻当時申立人等の父繁夫は○纎維工業株式会社の社員として勤務し、その父太郎及び母タカ弟勇三の四人を家族とする一個の生活体であつたが、相手方との婚姻により相手方を加うる五人を一団とする生活体として再出発したのである。婚姻後二年間は順調に婚姻生活が維持されたが、昭和二三年四月頃申立人等の父繁夫は肺結核に罹り山口県光市所在の○○病院に入院、同年八月呉市○○病院に転院し、更に昭和二五年八月国立○○療養所に転院、胸部手術を受け昭和二八年五月快方に向つて退院したものの身体障害者として、広島県立身体障害者甦生寮に入り、昭和二九年三月二〇日頃まで生活指導を受けてその頃退寮するに至つた。当時申立人等の父繁夫の家庭の経済状態は祖父太郎名義の建坪四九坪の住宅及びその敷地七八坪の外に不動産なく、祖父太郎は老齢で戦前の海軍工廠工員としての少額の年金及びその子政雄戦死による遺族年金を得る程度で他に収入なく、海田市保線区に勤務中の申立人等の父の弟勇三は、漸く自己の需要を満し得る程度の収入しか存しなかつたので、父繁夫の病気療養費はもとより家族の生活費にも窮する有様であつた。相手方は小学教員の資格を有し、婚姻前教鞭を執つた経験もあつたので、父繁夫と協議の上相手方が再び教職に就き家計を援けることとなり、昭和二五年四月一日より○○小学校教諭として就職した。その頃より父繁夫の既に二年間に亙る療病生活と、将来何時恢復するかを期し難い病勢は、家庭生活に深い暗影を投じ相手方の内閉的、抑鬱的性格と相俟つて、この家庭生活は相手方にとつて漸く重荷となり精神的に疲憊するに至つた。このようにして禍恨を生じた家庭生活は日を経るに従つて誤解を生み猜疑を深め一触破綻の危機を孕むに至つた。恰かも昭和二五年三月頃相手方受持の学童が教室内で喧嘩をし、その一方が片目の摘出手術を受けるという事故があつて、相手方は教師としての責任を感じ転校運動をするなど精神的負担が倍加し、家庭生活においても舅姑の意を迎える余裕を失うような状態もあつた。その頃四月上旬父繁夫が外泊の許しを得て病院より帰宅したところ、その母タカより種々相手方に対する不平を並べられ、相手方との別世帯生活を求められたので、繁夫もやむを得ないと考え、自ら退院するまで相手方と申立人等二名とで父母とは別世帯を持ち相手方の収入で生活するよう相手方に勧告したところ相手方は義兄である梶幸夫と相談してくれといい、梶幸夫に相談すれば夫婦間で解決せよと言われ事態収拾に困じはてた繁夫は、その即行的、激発的性格の下に相手方と相当烈しいやりとりをした後、激昂のあまり相手方を離婚する、自らも自殺するなど口走り興奮状態が静まらなかつたのを動機に相手方は、繁夫方を去り梶幸夫方に身を寄せるに至つたものである。その後興奮状態からさめた繁夫は療養所より相手方に対し復帰するよう手紙を送つても相手方より返事はなく、媒酌人を通じて復帰を求める等曲節を経つつ約一年間に亙る離別状態が続いた。しかし相手方は依然復帰しないので最後に繁夫は自ら梶幸夫方に相手方を訪れ、復帰を求めたけれども相手方は固く復帰の意思のないことを示したので繁夫は、またまた昂奮し「相手方がそれ程に離婚を望むなら離婚をしてやろう、二人の子は相手方には育てさせない」という趣旨を口走つて帰宅した。梶幸夫は、時を移さず離婚届を繁夫方に持参して署名捺印を求めたので、繁夫はやむなくこれに署名捺印して同人に渡したところ、相手方は即日荷物等を繁夫方から運び出し、昭和二六年四月○○日所轄○市長に離婚届出をし、これにより申立人等の父繁夫と相手方との協議離婚は成立し申立人等両名の親権者は父繁夫と定められたものである。申立人等の父繁夫は内心相手方と離婚を望まなかつたのであるが昂奮と紛争のいきがかりから不本意ながら離婚の協議に応じたものであつて、この協議離婚は有効であり申立人等の親権者を定めるについても有効に協議が成立したものと認める。その後昭和二六年に至り繁夫は、自らに申立人等の扶養能力なしとしてその親権者を相手方に変更するよう調停を申立て、調停委員会は懇切に調停の末、親権者を相手方に変更することを不相当と認め小児麻痺のため身体の不自由な申立人美子を施設に収容するよう斡旋して繁夫は調停申立を取下げるに至つた。しかし祖母タカは施設に収容された美子を不憫に思い繁夫と相談の上、施設より引戻して監護し今日に至つているものである。

2、申立人等の直系血族及びその資産収入

申立人等両名の直系血族は、父方にあつては父繁夫と祖母タカの二名であるし、母方にあつては母中田ヱミ子と祖母中田サヨの四人である。これら四人についての各自の資産、収入の状況は次の通りである。

(1)  父繁夫

(イ)  資産

呉市○○町○○九五〇番地の五

一 宅地 七六坪二合五勺

同所 九五〇番地の八

一 宅地 一坪七合五勺

同所 九五〇番地の五 地上家屋番号二〇一号

一 木造瓦葺平屋建 一棟 建坪二七坪

附属建物

木造瓦葺二階建居宅一棟 建坪一二坪、外二階一〇坪

以上各不動産の六分の一の持分

(ロ)  収入

繁夫は身体障害者で軽労働に適するものであるが、現在謄写版印刷の筆工として一ヶ月七、八千円乃至一万二、三千円の収入を得ているものである。(イ)記載の土地家屋は祖父太郎所有名義になつているけれども、太郎死亡のため、その妻タカと繁夫等四人の子の共有となつている。現在は申立人等と祖母タカが居住し、その一部を賃貸し、賃貸料一ヶ月三千五〇〇円をタカが得ている。この収入はタカの生活費に充てられ、繁夫の収入にはならない。

(2)  祖母タカ(父方)

(イ)  資産

(1)の(イ)に記載した不動産の六分の二の共有権

(ロ)  収入

A、(1)の(ロ)に記載した賃貸料一ヶ月三、五〇〇円

B、元海軍工廠工員であつた亡夫太郎の遺族として受ける、旧令共済組合遺族年金二二、二五〇円

C、軍属であつた長男政雄戦死による遺族年金四三、一二三円

(ハ)  負債

A、(イ)の不動産を担保とする債権者株式会社○○○銀行債務者川上武夫の物上保証義務金六八、二六五円(一回の掛金三、四〇〇円)

B、同上不動産を担保とする山戸繁夫名義の同上銀行に対する債務六六、七八二円(一回の掛金三、四〇〇円)

C、妹山本サノに対する元金三九、〇〇〇円の元利金

D、国民金融公庫○○支所に対する元金五〇、〇〇〇円の元利金

祖母タカは、(ロ)のBの収入をもつて(ハ)のCの債務の弁済に充て(ロ)のCの収入をもつて(ハ)のDの弁済に充てるためいずれも年金受領権を担保に供しており、(ロ)のAの収入をもつてその生活を支えている。その他(ハ)のA、Bの負債を償還する義務を負うている。

(3)  相手方

小学校教員としての給与一ヵ月二一、四三〇円――手取金一七、〇〇〇余円――を受ける外資産収入はない。

(4)  祖母中田サヨ

資産収入共にない。

3、扶養責任の帰属

申立人美子は満一二才で中学一年生であり、同一夫は満一一才で小学校五年生で、いずれも扶養を要する未成熟者であることは明かである。そして法律上扶養義務を予定されている申立人等の血族中、母方の祖母である中田サヨは無資産無収入で六三才の老齢に加えて病弱で医薬に親しみ、全く労働能力がなく、相手方よりの扶養で生活をしている現状である。従つて申立人等を扶養する責任はない。父方の祖母である山戸タカの資産、収入及び負債は資産収入の項において明かにしたように債務の中に埋もれて漸くその糊口を凌ぐ程度の情況であるし、齢既に六九才の高齢で他の収入を得る途はない。ただ申立人等に対する強い愛情のために消え残る労力を傾注して申立人等の食事や身辺の世話を楽しんでいるに過ぎないことが認められ、申立人等を扶養する経済的余力のないことは明かで、これまた申立人等を扶養する具体的責任を認めることはできない。このように視てくると申立人等の扶養義務者は申立人等の法定代理人たる父と、相手方である母の二名ということになる。ところが父繁夫は申立人等の親権者であるし、母ヱミ子はその親権者でない。親権者である親と、親権者でない親との間に扶養義務の性質に差があるか否かは多少の疑問がある。生活保持義務の法文上の根拠を民法第八二〇条に求めるものは、子の監護教育義務、すなわち扶養の義務を親権の一内容とする結果、生活保持義務を負う親は親権を行う親のみであつて、親権を行わない親は生活扶助義務を負うに止まると解する。しかし当裁判所は民法第八二〇条にいわゆる監護教育は、子の身上の監護教育を指すのであつて、監護教育に要する費用すなわち財産上の負担は、同条によるのではなくて民法第八七七条以下の扶養義務者の地位において定まるものと解し、未成熟の子に対する親の生活保持義務は、親子という特殊のつながりから生ずる必然的帰結であると考える。若し前説のように親権と生活保持義務が相伴つて終始するものとすれば、(1)離婚判決又は審判で、親の有する愛情の程度や子の利害に影響する家庭に於ける人間関係の諸条件を勘按して財力なき一方を子の親権者として指定した場合でも、財力ある一方が生活保持義務を免れることになるであろうし、(2)親権辞任許可の審判でも親が再婚するためのように全く親の便宜のために辞任が許可されても、親権者でなくなることにより親は生活保持の義務を免れ、その反面子は不利益を被るという甚だしい不合理の結果を生ずる。このように親権を行う親と親権を行わない親の子に対する扶養義務は共に民法第八七七条にその根源を有し、その性質は共に生活保持の義務であると当裁判所は解釈する。されば申立人等の父繁夫も母ヱミ子も共に申立人等に対し生活保持の扶養義務を負うものであることに変りはない。唯生活保持の義務者の間にあつても、離婚ないし親権者を定めた事情、親子の生活関係におけるつながりの親疎、資産収入の情況、他に扶養を要する者の存否等一切の事情を衡量して扶養義務の程度を定めるべきものである。従つて生活保持の義務者であるからといつて常に均等の扶養義務を負担するものではない。

4、相手方の負担

申立人等両名は昭和二五年四月父母の離別以来祖母タカの手によつて愛育され、同人に対し第一の親しみを有し次いで父繁夫に対して親しみ、兎も角精神的に安定した生活をしているし、祖母タカも亦この両名を熱愛し手離し得ない心情にあることが窺われる。相手方は小学校教員としての現職にあつて病弱な母を抱えており、その上監護を要する申立人等を引取つて扶養することは甚だ困難な状況にあるので、申立人等は父繁夫と祖母タカが監護し、相手方は申立人等の生活費の一部を負担する方法により扶養するを相当と認める。そこでその負担額につき考えるに、昭和三二年四月一七日厚生省告示第九五号及び昭和三四年四月一日同省告示第六八号生活保護法による保護の基準によれば、呉市社会福祉事務所長回答書の通り申立人等各一ヵ月の最低生活費は二千円前後であるけれども、この生活扶助基準の定めが最低生活線であつて通常の生活費を賄うに足りないものであることは、何人も認めているところであつて、これは呉市長の呉市民生活状況の回答(一人一ヵ月の平均消費五、二七〇円)によつても今日普通人一箇月の生活費は四、〇〇〇円ないし五、〇〇〇円前後であることを知ることができる。しかし申立人両名が父母に対して有する扶養を受ける権利は生活保持の権利であるから父母の収入に応じた生活をするに足る生活費を要求し得、またそれをもつて満足しなければならない。いま父繁夫についていえば繁夫の収入は、大体一箇月一万二、三千円であり繁夫が他に扶養を要するものはないから、この収入を繁夫と申立人等両名合計三名の生活費に均分すれば一人一箇月四、〇〇〇円となり、母である相手方についていえば一箇月の収入手取は一万七〇〇〇余円で、相手方は他に母サヨを扶養しているから申立人等を合わせて四人が生活するものとすれば、一人一ヵ月四〇〇〇円余の生活費となるのである。このように考えて当裁判所は申立人等一人一ヵ月の生活費の最低を四、〇〇〇円と認定するのであるが、相手方が女性であること、申立人等が長じて収入を得るようになつたとき父とは生活を共にしても、母とは生活を共にし難い現状にあること、その他親子の情の親疎等一切の事情を斟酌し相手方は申立人両名の生活費として、本件申立のあつた昭和三四年七月より申立人等がそれぞれ中学校を卒業する月まで、一人一箇月につき一五〇〇円ずつを分担するを相当と判断する。

このように判断することにより、申立人等両名の生活費は合せて一ヵ月八、〇〇〇円となり、その内五〇〇〇円を父繁夫が負担し内三、〇〇〇円を相手方が負担することになり、現在収入の少ない父の負担が多額で、収入の多い母の負担が少額であるという一見不合理の結果を来すように見えるけれども、父は男子であつて相手方よりも智能も優れているのであるし、親権者として申立人等の監護教育を担当し、申立人等との親近感も深いのであるから苦難をしのんで多くを負担するは社会通念上やむを得ないところと謂わねばならない。相手方は婚嫁を去り嫋い腕で自己の生活を支えながら老母を養い、将来に不安を感じつつ生活を送つているのであるから、この上婚家に遺した子の扶養義務を負担するは苛酷に感ずることであろうけれども、親子のつながりはどうすることもできないのであるし、それが子の幸福のためであれば、母としてやむを得ない犠牲として忍ばねばならないことと考える。

5、事実認定の資料となつた証拠

(1)  当庁昭和三三年(家イ)第一九〇号扶養料等請求調停事件の申立書

(2)  当庁昭和三三年(家)第四八六・四九二号扶養審判事件の申立書

(3)  同上申立書添付の戸籍謄本

(4)  当庁昭和三三年(家イ)第二二一・二二二号扶養調停事件記録中の家庭裁判所調査官須永正の電話回答報告書

(5)  同上記録中○○○銀行吉浦支店長高○理○の回答書

(6)  同上記録中の呉市立○○小学校長宮○正○給料調査報告書

(7)  同記録中の調査官須永正の調査報告書

(8)  当庁昭和三四年(家)第一・二号親権者変更審判事件の申立書

(9)  同上事件の記録中昭和三四年三月一七日の審問調書

(10)  同上記録中の相手方代理人の抗弁書と題する書面

(11)  当庁昭和三四年(家)第二〇〇号親権者変更審判事件の同年五月二一日の審問調書

(12)  当庁昭和二六年(家イ)第九九号親権者変更調停事件の記録中山戸繁夫より呉市部長にあてた昭和二六年九月八日附の書面

(13)  同上記録中昭和二六年九月二七日の調停期日調書及び山戸繁夫の審問調書

(14)  同上記録中昭和二七年一月一七日の調停期日調書

(15)  当庁昭和三四年(家)第二〇〇号親権者変更事件の証人深井春江、同佐野梅一、同梶幸夫、同山戸タカ、同山戸美子、同中田サヨの審問調書

(16)  本件記録中昭和二七年七月一八日附呉市社会福祉事務所長の回答書

(17)  同上記録中家庭裁判所調査官高橋昌之の調査報告書

(18)  同上記録中呉市民生活状況調に関する昭和三四年七月二一日附呉市長の回答書

の各記載及び

(19)  当審判廷における申立人等代理人及び相手方本人並に証人山戸タカの各供述

家事審判法第九条により以上の通り審決する。

(家事審判官 太田英雄)

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